

朝来の歴史

人類が楽園を求めて世界中を放浪する時代が区切りを迎え、定住・農耕の文化が花開き、日本各地でも稲作が広まりました。安心できる家での暮らしや、安定的な食料供給は中央集権国家を生み出し、各地に有力な豪族を形成しました。こうして日本各地に生まれた村々は、時代の変遷とともに大きく都市へと成長したり、時に戦争に敗れたり、他の都市へ吸収されたりと、様々な道を辿っていきます。

ここ朝来市は、2000年以上前から存在すると言われている粟鹿神社や、5世紀初頭に作られた茶すり山古墳などを今でも目にすることができる地域です。また、幾多のサムライが日本各地で力を競った戦国時代には、国境警備の重要な役割を担った竹田城が作られました。当時の石積みが今もそのまま残り、天空の城という異名に相応しい圧倒的存在感を放っています。そして、チョンマゲの時代が終わり、日本の近代化産業革命以後の日本を支えた生野銀山もまた、当時の一大産業の面影をそのまま残しています。どこまで歩いても永遠に終わらないようにさえ感じる長い坑道を進んでいくと、当時の坑夫たちの生きる強さ・たくましさを感じとることができます。

長い歴史を誇る朝来市は、日本人でさえ自分の生まれ故郷として感じることのできるまちとして、人々の心をなお魅了しています。

有史以来の日本の移り変わりを、一度に見て・知ることができる数少ない町です。あなたも、日本の悠久の歴史を訪ねに来てみませんか?
古墳王墓時代

5世紀前頭、古墳時代と呼ばれたこの時代も後半を迎え、ヤマト政権と呼ばれる強力な中央主権国家(奈良県を中心とするエリア)が勢力を奮っていました。標高約144メートルの大きさを誇る茶すり山古墳はそんな時代に作られた「円墳(丸型の古墳)」です。円墳という形は、日本の中でも大変珍しく、その大きさは当時にヤマト政権があったこの近畿エリアにおいて最大級の大さを誇ります。

高速道路建設のときにこの古墳は発掘され、武具・勾玉・埴輪といった大量の副葬品がともに出土し、出土品から古墳時代中期における但馬地域(朝来市を含めた広域エリア)の王墓であり、ヤマト政権と強く結びついた強力な豪族の墓であったことが判明しています。当時、中国と日本の国交は盛んに行われていましたが、ほとんどの資料が残っていません。しかし、日本海に面した但馬地域は、中国大陸に向かい合う日本海に面しています。但馬地域にも国交の船が着港していたのかもしれません。

エジプトのピラミッドと同じように、古墳の大きさはそのまま権力の大きさを表すと考えられます。朝来市に祀られた豪族はどのような人物だったのでしょうか。「埋蔵文化財センター」では、古墳から出土した品々を実際に見ることができます。
戦国時代

実ははっきりとした築城年はわかっていませんが、文献では1441年頃に築城されたと口伝での記録が残っている竹田城。近隣国との争い以後、何度となく近隣諸国から狙われ続け、生野銀山を所有していたことなどから築城から100年以後も、強大な国を築いた王から狙われつづけた山城です。「生野を治める者は天下を治める者」とも言われており、生野は大変重要な場所でした。朝晩の気温差が激しい秋口に、円山川から立ち上る朝霧により大きな雲海が発生し、小高い山の上にそびえ立つ竹田城跡の麓はその雲海で覆われることがあります。

竹田城跡を正面に捉える立雲峡からは、天空にぼんやりと浮かぶ幻想的な竹田城跡の姿が見られます。その当時にここを制した城主は、何を考えていたのでしょうか?竹田城跡からは朝来の深い山々と広い田んぼや城下町を一望することができます。城跡へ続く道は複数の登山道がありますが、途中山城の名にふさわしい獣道が姿を表します。さぁ、天守目指して歩みを進めてみましょう。
近代産業時代

銀は太古の昔から変わらない高い価値を持つとして、時には金より高い価値を持つと言われ、貴金属や硬貨として大切に扱われてきました。特にヨーロッパでは、新大陸発見まで大きな銀脈を見つけることができなかったため、各地から銀を輸入し、日本の銀鉱山からも大量に輸入していました。16世紀後半から17世紀前半にかけて、東アジアでの主な産銀国は日本しか存在しなかったため、銀山は国営事業として栄えました。

朝来市の生野銀山はかつて「銀の出ること土砂の如し」と揶揄されるほどの出土量を誇り、国の産業を支え続けてきました。もっと効率的に多くの銀をとろうと、手による地道な採掘から近代的な採掘方法へと転換するため、1868年にフランスから技師を招き、フランス人との交流も始まりました。

フランス人技師によって、動力の機械化・火薬による採掘・トロッコを利用した大規模坑道・水銀を使った製錬等の最新技術が導入されました。この技術革新は、かつて東洋一とうたわれた神子畑選鉱所の建設や、ハヤシライスをはじめとした西洋文化の流入に繋がりました。朝来市では、当時のままの生野銀山を歩くことができることはもちろん、着物から洋服を着るようになった日本人の転換期を知ることができます。