資源大国日本の記憶をたどる轍

資源大国日本の記憶をたどる轍

資源大国日本の記憶をたどる轍

はるか昔、多くの鉱物資源が日本には眠っていたのをご存知ですか?16世紀には「生野を治める者は天下を治める者となる」と言われた鉱山のまちが朝来にはあります。明治から昭和初期にかけて、日本の一大産業として朝来を中心とした鉱工業が発達しました。江戸時代から明治にかけて大きく変化した日本の産業遺産を巡り、日本の時代を跨ぎ歩いてみましょう。

09 : 30

生野銀山

生野銀山

1543年には銀を掘り出したという記録が残っており、日本の権力者はこの生野銀山を治めた遺産。

約10分

10 : 40

鉱山町のまちなみ

鉱山町のまちなみ

日本の鉱山町を象徴する建物が多く残っているまちなみがある。財閥企業が鉱山を所有した後、日本初の社宅が誕生し、使われなくなった今も住居の内部を見学できる。黒澤明映画監督の作品によく出演した志村喬もこの社宅で育ち、記念館が建てられている。古民家を改装した、生野まちづくり工房井筒屋では古き良き日本家屋を間近で見ることができるだけでなく、観光案内施設としても機能している。

約30分

13 : 30

神子畑鋳鉄橋

神子畑鋳鉄橋

1881年に鉱石を馬車などで運ぶために、丈夫な鋳鉄橋が架けられた。鋳鉄橋としては日本最古の橋である。

約5分

12 : 00

神子畑選鉱場跡

神子畑選鉱場跡

生野銀山などから運ばれてきた鉱石を選鉱していた工場跡。約100年前には東洋一の選鉱場と言われていた。